どうも、しもじです

2015〜2016にかけての冬の間に、シリーズで一部UPして・・

え〜とタイトルもまだ決まってないのですが、きのこ..に至る(仮) みたいな文章中心に古い写真から、近代の高画質写真にたどり着くまでを書いて・・需要があれば書き溜める分とかと合わせて、自分のサイトにUPするかどうするか昨年以前から悩んでいるとことにきて、

活動資金なども必要にせまられ従事してる製造業が忙しいとことに来て、昨年自分の体調不良に合わせ10月の父親の永眠なども重なり・・ま〜自分は医者ではないので医学的な難しい話しませんが、結論から弁明させていただくと、正月が誕生のしもじ、それに合わせ今年が免許の書き換え年にあたり、一応ゴールドカードなので普通に地元警察へ書き換えに行ったところ、・・どうも去年夏に一度倒れた事が要因で、通常の手続きでは免許の更新が出来ず、しばらくの間免許無い状態になってしまい・・突然の事で、本人が一番えっ?なに?みたいな戸惑いのどん底におります^^;

いっその事、きのこドライバー募集でもするかなとも真剣に悩んでおりますってな言い訳から、今年のでじたるメモのはじまりです。

こたつ

 

西暦1989年 夏 

 この時から、さらにさかのぼる数年前・・東京は新宿三丁目の某ワンルームマンションの一室。
繁華街ではなかったが、サンダル履きで歌舞伎町へラーメン食べに行けるくらいの場所で、ここに仲間数人とマイクロコンピュータの設計会社を構えた。

そんな人の話ほど面白くないもはないし、ここで聞きたいのは・・勿論きのこの話だよね・・・。

 ある日、仲間の一人が友人から、友達教授の相談に聞いて欲しいとの話があり、合う事に・・・
 ピンポン♪事務所件作業場のワンルームマンションのベルが鳴る。

 ”こんにちは〜”、と夫婦で事務所に上がってきって、いきなり床に坐りこみお弁当を広げ、「ちょっとお昼食べさしてね」と、思えば運命の出会いの瞬間だったのか・・・え〜と相談って何だったけなぁ〜・・

 この時からすこしづつ、この教授夫婦(奥さんも教授様)とのおつきあいが初まる。
何故ここからなのか・・この頃得た経験が後に大きく自分・・今の”しもじ”の根になってるのだと思う

 ここから数年、そそっかしい社長は、仲間達を裏切ってしまうというか、仲間に見捨てらるというか、とにかく全ての意味で居場所を失い、無論お金と信頼は消え去って当然な訳で、身を寄せる身内も無い状態で、毎日じっと見つめていたのは、その時偶々仕事で使っていたエジプト航空の、タイはバンコックドムアン空港へ戻る半年オープンチケットだった。

 犯罪を犯したわけとか言うわけではないが、とにかくどこかに逃げ隠れしかったのだろうな、今振り返っても自分自身を限りなく情けなく思う時期である。

 どうして手に入れたか忘れたが、なんとか車検のある赤いブルーバードでしばらく寝泊まりしていて。
「そうだ・・」と、知り合った時は東京の某大学で教えていた御弁当の教授が、信州ってとこの大学に移ってる事を思いだ出す。

 この教授が信州に移った時はどれだけ、この信州をどんなにバカにしてたものか・・半分は冗談まじりではあるが、「そんな人も住んでないよういな山の中でなにやってんの」とか・・・信州の上田なんて場所は、実際本当に知らなかったのだ。

 色々へまやって問題起こすだけおこし、ハンドル向けててのがこの信州上田市で・・高速道路も、軽井沢どころか高崎まで、この教授に会う為に車を向ける、ま勿論オリンピックの話も新幹線の話も先の先。

 わぁ〜〜〜てな感じで、もの凄い数のセミが鳴いてたなぁ〜

「石塚君これからどうするの?お金だって無いだろうし、でもガソリンだって入れなきゃいけないだろうし・・」
今につながる、生涯ずっと忘れないだろう言葉の中の1行である・・・

しもじ・・と名乗るには、まだまだこれから何年もかかる

       えっ・・だから、お前の身の上なんかどうでもいいって・・・だよね、^^;


 後の”きのこ”の話に影響してくる部分なものでして・・・おっ!やっと、”きのこ” の文字が出て来た所で珈琲時間〜
違う!って^^ どうもすみませんね。

 時は1989年9月、従業員20名足らずの会社2階の食堂で、皆と同じ御弁当を食べていた。
周りは山だらけの地域、昼ご飯を食べながら、一緒に働く地元のおじさん方と何か会話と思い、何気に開いた口から出た一言「きのこって出るんですか?」と、すると「そうだな、今週末あたりリコボー探しに行ってみるか」って。

 週末を待ち、この会社で知り合い同胞となった従業員の数人と、地元の山へのきのこ採りに同行させてもらう事に。

 その会社で支給される作業服上下に、主力取引先社名入りの作業帽、自分で買ったものは980円の長靴。
それが、その後数年間のきのこ採り基本スタイルとなる。

  それまできのこって、シイタケかナメコ(それも無論栽培物)、庶民は食べれないマツタケくらいしか知らなかった奴が
教わって初めて山で見たきのこ、リコボー!! なんだこれは、瞬間的に虜となる。
 見つける楽しさに、見つけた時の感激と、そしてまた、それを自分で料理して食べる喜び。

そして、季節はあっという間に冬になるここは、上田盆地。

 世の中は、携帯電話などはまだまだ一般的でなく、自動車電話のオレンジトップのアンテナが金持ってるぞ野郎の証しのような時代がそろそろ終わりを告げようとしてる頃で。
きのこの世界って? きん?は、きんでも、そもそも金には縁遠い、おいらが・・・菌・・の、なにか1つにつかまった事は間違いないなく、その子実体が鎌首もたげ、きのこネームしもじを名乗り、へら(舌)だして笑いはじた事より、時は何年も逆登った平成のはじまり時代です。

 無論インターネットが普及とかの前に、端末のコンピューター設計とかを、はばかりながら現在のしもじ如きがしてたくらいの時代・・そんな奴が、上田・・と、いう場所に流れてきて数年、きのこ、菌の世界にはまりつつも、(胸張って言えるような事では無いが)まだ知人の勤務先大学の職員官舎に居候してでなければ生活がなりたたない程どん底の時期からやっと、自力で家賃35、000円の借家に移り住んで、数年ぶりの自活がはじまるが、今は信じられないほど荷物が無く、大きな荷物は冷蔵庫(一応2ドアなサイズ)、
次がこたつのテーブル、そのこたつも小さなサイズで、冬に成人が潜り込めば即亀になれる位なので、ま〜一人用ってな事言われるサイズのこたつです。
そのテーブルに、こたつ布団の一面を畳すれすれに垂らし、その面を6畳部屋の壁に押しつけ、長く引っ張った布団面を首元までひっぱる・・これが、これから数年間しもじの”部屋”となる・・・・・。

 と、やっと自活はしてたものの、当時まだ給料の殆どは、諸々の後始末にて消えて行っていたここは、日本国内でも、長野県は上田盆地。
盆地特有の夏暑く冬寒いが極端気候に増して、特に冬の気温は特に極端に下がる地域で、冬はこたつの中で暮らし、こたつの中が全てと言っても過言ではない状態だったと、
何か格好つけて話すことが何も無い、単調な生活が流れていった。
 
 それでも、自身が流れて来て10年経った頃には、インターネットの回線がどうのとか、ヤフーがとか・・言葉を聞くようになる。
携帯電話もボチボチ普及もはじめとかの前に、やっと自宅に自分名義の電話を引き込み、冬のこたつ生活で、両足水虫だらけになり心入れ替え、自分なりに禁止したこたつ生活は、今につながり・・アップル・・MacはG4を購入し、世に言うホームページなるものを立ち上げ、’ しもじ ’として世に出る。

ここで水虫で自己禁したこたつ机、MacG4のテーブルとして復活大活躍時代になる。

 まだ勤め人技術者(サラリーマン技術者)をさせて頂いていたこの時代、仕事で作製した機械などの記録写真なども撮っていて、お付き合いのあった近所D・P・E屋さん(今はすっかり消えてしまったお店だが・・)週末は山へ行き、きのこの写真を撮り週開けの月曜に現像に出し、フィルムは全てリバーサルだったもので、現像に中2日かかって、木曜日マウントしたした状態で上がってくる。
その中から数枚選び、自分でニコンのフィルムスキャナー使いG4に読み込み編集し、週末自分のHPにUP・・としてはじめたのが現在に至っている。

 この時が、西暦で言うと、1998年

PhotoCD 細かい話しは抜きにして

大変に感謝しいてるシステムの流れでした

 単純計算で、リバーサル24枚撮りフィルム代金現像マウントは、近所にあって当時通ったD・P・Eショップ クイックフォト35(今は無い)で、色々交渉の上、1本あたりのコストが2、000円、トップシーズンだと、1度山に入れば4〜5本は撮影してくるって事は、毎週末に写真だけに、万単位のお金が消えてゆく・・周単位だかんね・・それでからといって、素晴らしい写真が沢山撮れかと言えば・・^^;

 こんどは撮りためた写真を、友人のバッテリー屋さんの事務所裏の倉庫の場所借りて、フィルム広げて100枚単位に選び出し、コダックのPhotoCDデータ化し保存をはかりつつ、自分のHPに使うようになる。

 この時でまだ、1999年から2000年の頃、まだツイッターもフェイスブックも世にサービズが存在しない。

 

続きのサブタイトルは、バイク 静寂と無音 メタル 何故しもじ・・・と順番は未定ですが・・

今回の”こたつ”もあまり文章練ってないのと誤字脱字などのチェックかなり甘くて申し訳ないです。

そんなの読みたくねぇ〜と需要がなければ・・別ですが

でなく、しもじとしては、ご意見ご感想などがあれば、素直に嬉しいのですがm(__)m

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今さらここで写真解像度の話しはしないが、当時ではデジタル画像とすれば大変なものだった

シーズン撮り溜めた写真を100枚単位に選びだしPhotoCDにして整理保存していた。

現在きのこトップシーズンだと、、一日でiPhoneで撮る分だけでも、このPhotoCDに数枚分の容量になってしまいます。

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1985年 新宿3丁目のワンルームマンション

玄関脇に置いてあったパーツケースの写真・・

こんな写真残ってとは思わなかったぜ^^

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おさんぽ きのこ.は、日本図書協会の選定図書になってます

 言い訳 〜・・の巻