山の中の、しもじオリジナルきのこのある風景を、高画質でパネル化して、販売しようなども思ってる最中だったので、そんな話にもつなが繋がってゆくかもともと思ったが、その話しは秘密にしとくか、リセット(^_^)

おい今年は更新すくねぇ〜って言うか、春からきのこの更新全然ないじゃん・・

 来月でこのホームページ開設丁度20年になります、そして6月27日は、’しもじ’の、きのこ本、おさんぽきのこ.を信濃毎日新聞社さんから出版すること丸4年にもなるこで、ここいらで何かまた新しい事・・、前回のデジタルメモの、’言い訳〜’でも少しふれましたが、さらなるテンションの為にも、真面目に活動資金の話の事などは避けて通れない部分ではあるけど、このHPでは普段勿論触れないようではなく、とくかく、きのこの話で沢山ありすぎて、そんな同じきんでも、金でなく’菌’の話題いっぱいで、またそこに新しいなにかをと、今年に入ってから少し気合い入れてはじめたて矢先の突然の出来事に重ね、さらに不思議に色々な厄介な事は重なるもので・・

 山へ・・さらには自分だけのポイント(そう思ってるだけですが^^;)へも行けず、 でも体調がどうのとかはなく、大変に元気一杯なのですが、山へ自力で行けないストレスも絶好調で・・しもじ、ゴールド免許にもかかわらず、何度も何度もあなたは別に犯罪者じゃありませんからねと言われつつも、公安員会から行政処分中のしもじ、まぁ確かにそうなんでしょうけど、気分は完全に犯罪者・・・にて落ち込みちゅう(Q_Q)↓ 無論まじで冗談ですが・・

 じゃ〜なんの病気?とか何処か悪いですか?とか聞かれても・・分かっているのは、確かにガキ頃から頭良いって言われたことねぇ〜ですわ・・悪賢いとは言われましたけどねヾ(^^へ) そのあたりの話は又いずれ、きのこネタに困った時にとっておきますね^^・

 年末くらいから自分の頭のなかにおいていた、ないかを少し刺激しようと写真データだけもで膨大な・・・、とにかくしもじオリジナルデータの、チェック整理はじめてみた、しかし自分で言うのもなんが・・ 凄い 

無論データ容量ってな部分あるが、そうとかででなく感じたのは

 せっかくこの素晴らしく奥深い楽しい世界を多くの人達に伝える事が出来るしもじ、さらにそれが自分の喜びとして消化吸収し新たなる活力に、足をとにかく前へ出し続け、そしてひたすらシャッターを切りまくるこが出来てきた自分。

そして、フェイスブック ツイッターなどのSNS ブログ(裏しもじ)は、日々必ずなにかを更新出来てる自分

すみません、言い訳ってより、グチにしかは聞こえないような出だしになりましたが、さらにさらに続ける為にも

あ〜少しすっとしたかな(^。^)

 

ここは、’しもじ’のHP きのこ好き

しもじ

肉体も精神も、しばし休息をとりなさいと言うことを言われています。

 

 

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休職できる訳はないし・・求職ってな事にばれる歳でも無いし・・給食じゃなく 求食ってか、食わねばならんしのぉ〜’きん’の為にも・・

↑この1行やめとけぇ〜ってっか^^;↑

 

 

 それでも、ホントに全くきのこ出ないでと、マジおこられそうなので、全ボツになったラインスタンプの一部UPしとくか・・^^;

前回かよりも、さらの時代をさかのぼってしまいました

でも、きのこに繋がる、しもじの実話です。

今回の写真は全て1980年代中盤から後半にかけてのもです。

 無論、さすがにカラー写真全盛の時代ですが、勿論フィルムで、デジタルカメラが一般的になるには、この頃から四半世紀後です。

右の白黒写真などは、カラーなら、まるでiPhone で、カシャってやったような画ですね

カラーのもは無論ですが、真ん中の偉そうに顔出し写りしてるのが、しもじです^^v

 

 

 おい!・・きのこの話しじゃねぇ〜のかよ・・・って

そうだよ、きのこの話しだよ・・しもじのね^^

しもじ20代の前半の時代は、とにかく、バイクに乗れれば幸せだった。

 自分で稼いだバイト代は、とにかくバイクにつぎ込み、色々乗り換えて行くうちに、自分のバイクの嗜好というものが固まってきて、さらに自分の体型体格にあったバイクとういのもの分かってきて(勝手に自分で、い・か・す・と思い込んでるだけなのだが)いつしか、後にバイクのメッカとなる奥多摩有料道路へ(後に自然災害や通行止めになる)、そしてだんだん遠征するようになり、碓氷峠(碓氷バイパスはまだ無く、今の旧道)にも通うようになるが、まさかその頃、後にそのさらに向こうに住む事になるなどと、微塵も思ってみるわけもない、やはりただの大バカ少年であった。

 とにかくまっすバイクを走らすのが嫌だった、右へ左へ体重移動を繰り返しアクセルを開けたり閉じたり、複雑なシフトチェンジ・・・、
 現実的には、まだ工事中だったサンシャイン60の根元を右回り左回り、そして気の済むまま首都高を周回し続けていた1970年から1980年代前半は、
峠道のふもとに住み、日々峠を越え仕事に行くの事が、当時の浅はかな夢だった。

・・あれほどどっぷり浸かっていたバイクにも、何時しか触れることも出来なくなり、早..四半世紀などという言葉が現実に使えるような時間が流れ・・・。

 ほんと、何があるか分からんのが人生。

 今は、360度山に囲まれた長野県上田盆地に住み、時間が許すが切り季節ごと思いつくかぎりの峠道を、きのこ探しながら、4ナンバーのジムニーをゆっくりゆっくり走らせる・・・しもじが居る。

 これも白黒ですが、何かソフトで加工したとかでは無く、実際もわざわざ白黒フィルムで撮影し、当時の職場の上司もバイク仲間でなおかつ、カメラマニアだったので、その上司のマンションのお風呂場でフィルムの現像から、全紙サイズに引き延ばし焼き付けまで自分で(皆でだ)行い、パネルにも仲間と張り作製したものです。

 今よりほぼ30年近く前の・・・しもじなんか見たくもねぇ〜っからきのこ出せ〜ってかm(__)m

 

 

 バイクから今回の話しの最後にちょこっと出て来るジムニーに至までの話でもつながってゆく・・・

 前回書いて載せた、言い訳の話より、さらに前の話で・・峠に繋がり、夏きのこにセミの声・・・静寂にメタル・・それがもっともっと昔の、スパイカメラ+ミゼットフィルムに ボルタフィルム、6枚しか撮れない6x6フィルム・・それが、今のiPhone やα7に至までの話の布石になる部分だったのですが、現在行政処分で、免許仮停止中のしもじ・・きのこ同様に思いもよらなかった話しのさらのもっと重い布石になるのは計算外だったけど(^_^;)

でも、要望無ければ次の予定は・・・何時にでしょうね^^; しもじへメールはこちらから 

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  その頃の免許制度では、原付か大型だけの切り分けで、法的に16才になればバイクの免許を取得する事が出来、すでに高校1年の夏ともなれは、すでに大型バイクに乗ってる同級生もいたが、1月3日の早生まれの・・しもじ

 1976年昭和51年8月、東京は文京区に住むしもじは、当時高校2年生の夏のことだった。

 当時の世相的には、カミナリ族が暴走族などという呼び名が生まれてきた頃であり、バイクは不良の乗り物として扱われやすくなっていて、勿論しもじの両親にもバイクには良いイメージがなったわけです。
まあ〜それ以上に、ろくに勉強もぜず遊んでばかりで、赤点だらけの成績で親に「バイクの免許取らせてくれ」と言うまでもなく、バイクの’バ’の字だけで、速攻帰ってるくるのは「駄目!!勉強しろ!」であった。ま〜あったり前っちゃ〜当たり前のことだった分けですね。

 バイクの免許の取得方法は、教習所に通うのでなく、試験場へ直接行って試験受ける方法もあったが、さすがにいきなり行って特に実技など受かるものではなく、でも原付免許なら学科試験を受けるだけで取得できるてんで、よしっしゃと思ったが、親にいくら小遣いをもらっていたかは忘れたが、当然受験料とか、それなりに諸々お金はかかる。

 その頃は地元郵便局で、年末になると御歳暮の配達、年賀状の配達なんどアルバイト募集があり、新巻き鮭配達したり、年賀状種分け配達などは、地元年末行事みたいおなものだった。無駄遣いの塊のよう奴がそのバイト代で、原付免許の試験集みたいの買ってきて、親に隠れて勉強し、さらに秘密で早起きして東京鮫洲の運転試験場に向かったのだった。

 晴れて合格、ものすごく嬉しかったが、免許があるだけで、バイクなど勿論無いし、買える訳もない。

 すでに大型バイク乗ってる同級生の友達と話をつけてあり、その兄貴が乗っていてたけど、今は放置されてる、ホンダモンキー貸してくれるてんで、早速足立区は竹の塚まで電車で取り行く。友人宅に着くと、いきなり乗って自宅に向かう・・今だ、その友人は話してないが、自宅に帰り着くまでに、多摩川大橋の手前で初コケ、でもバイクに乗れて事が嬉しく嬉しく,全く傷みの記憶はなくヘラヘラしてるバカっぽい自分の顔だけけが思い浮かぶ。

そこから、しもじ バイク人生がはじまる。
その後、バイト代でホンダCB50JX1を購入、気持ちはジェット戦闘機に乗ったかのような気分で、とにかくそこらじゅう走り廻っていた。

 18歳の誕生日を待ち、車の免許取った、そうなると当時学科が免除になった大型免大型バイクの免許を取得に行くことに。

 大学時代は九段下のガソリンスタンドでアルバイトをするようになり・・実はその十数年後に、現代に至る仲間の不思議な縁を感じる事になるのだが、その話しはまたどこかで。

 もちろん、車は車で興味はあったが、その頃はまだ現実的に自力で買うほどの財力も無い事もあり、ただただバイク好きに、さらに大バカを加えた少年時代で、全てを知り触れ風邪を切って乗れるバイクにのめり込んでゆく。
(この全てを知り・・って部分はただ、大バカさゆえの思い込みで^^;)

 

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おさんぽ きのこ.は、日本図書協会の選定図書になってます

言い訳その2〜・・の巻 (^。^)