なんでそんなに好きなんだろう

  何故キノコなのかと聞かれてても、自分自身が分からないのだから、答えようが無い。

東京に住んでいた時から、漠然とだが、キノコと言う物に興味があったのだと思う。ひょんな事から、長野の会社に勤める事になって、昼食時にさり気なくキノコの話を聞いてみたら、結構なはなしが、次から次へとで出くる。ちょうど入社が九月だったのも相まって、あっと言間に、虜になってしまった。

基本的に、自然とか、そう言った事とか、物が好きなのは確かだ。小学生の時、算数は嫌いだったが、理科は得意だったが成績は悪かった。ガキがそのまま大人になりきれない、俗に言う、ガキおやじなのだろう。子供の時、宝探しのような遊びをしたことのある人は、多いと思う、僕にとってはまさに宝さがしの宝を見つけた時の嬉しさが、キノコを見つけた時の嬉しさに、似ていると思う。宝探しと言う物は、宝を見つけるまでのプロセスを楽しむもので、宝の貴重さやすばらしさに加え難易度が高い程燃え、見つけた時の満足感に比例する。

現実のキノコ狩りのフィールドは限り無く広く、宝は一杯あって、毎回、毎年、違った宝を、違う場所で見つける楽しみの無限に等しいネタは、僕をさらに、のめり込ませるのだ。生活環境も恵まれており、出勤前に山の中を夜明けから数時間山索して、9時の始業時間に間に合うなんざー最高です。

 でも今だに東京に住んでいたら、絶対風俗にはまっていただろう。だって絶対いいよな、おねーさんに頭のてっぺんから、足の先まできれーに洗ってもらって、気持ち良いことして、最高ですよ。喜びと快楽、それはそれ、これはこれ、なんだろうな.....   

 

 

 

森のダイバー

 

 紅葉のころ、山は毎日おばけの様な彩りに包まれ、一日一日と時の流れが目に見えるように移り変わる。そうゆう流れの底で僕は、ひたすら息をきらし歩き回っている。僕の場合、ただひたすら、キノコを探している分けだが、時折、余りに凄い流れの音だけに、足を止めてみる。大きな風が山肌をなめる時、やはり大きな木々の、空に向かう数えることは不可能だが、無限では無い固体の腕、そして彩られた光を掴む指命をまっとうした手のひらたちが、その、波音を作りだす。山肌に立つ僕は、まるで海の底に居るようだ。
 難しい事は分からない、でも海の中は、その海面の動きは、深く行くほど僕らには感じられない。海はそれそのものが大きな生き物で、数えきれない種を守り育てる、大きな力なのだと思う。僕には、山とその森を形成する木々そして空気は、海のそれと全く同じに思えてくる。
大きな風波に、夢中な気持ちを空に向ける、木々とその色とりどりの狭間からのぞく空の青は、まさにマリンブルーのそれなのだろう。

 

 

山立て

 

 

 一人でキノコを探し、山の中の何かになってしまっている時、時折空を見る。
別に想いにふけるとか言う訳ではなく、太陽の位置と目に入る景色の関係、山立てをしている訳である。とかくキノコ狩りというものは地上からだけキノコが発生している訳ではないのだが、どうしても地面ばかり見て歩く事になりがちなのだ。ふと気づくと、ここは何処?どっちから来たのか分からなくなっていて、当然周りの風景には、全く記憶がない。要するに迷ってしまったと言うことだな、これは。
情けない事に、キノコを始めた頃に、数人のキノコ狩りのメンバーに連れられていたにも関わらず...おーい、おーいと、情けない声を連発したことがあった。なんて事はなく、すぐそばに皆いたのだったが...。
 今でこそは一人で、とんで歩いているのだが、入る山の場所は、いつも同じである。この数年で百回以上通ったかな、行くたびに数メートル、数十メートル、一沢、一山とテリトリーを広げ、現在に至っているが、人間(俺の)足なんて、しょべーな思う反面、大したもんだと同時に感じるこのごろである。
 あー、でも奥深い山の中で、人知れず発生し、朽ち果てていくキノコがまだ沢山あるのかと思うと、空でも飛べたらなーと、ねがいをはせてしまうのである。

 

 酸欠

 子どものころ、中学に上がるまでくらいかな、かなり感の強い奴だったと今でも思います。
いろな物見て、感じて、日課のようにやってる来る得体の知れない奴とも数年もつきあったし..........それが年をへて、邪念と雑念の固まりみたいな奴になってしまい、まー何もそういった物達を感じなくなって久しかったころ、気がついたら、何故かきのこを初めていた。

 土日、祭日だけでは飽き足らず、早朝きのこを始めたころ、夜も明けきらない頃から山に入り込み、我が畑を目指しとにかく移動。
とにかく、サラリーマンなもんで、9時出社に間に合うた為には8時には車に戻ってないと遅刻である。
つい夢中になって、通常のルートで戻るには、時間的に苦しい所まで来てしまい、心臓破りの沢をこえ近道?ルートを戻ることが、しばしばある。
斜面は、まるで垂直の壁の様にみえ、堆積した落ち葉達が次から次へと足元を崩していく。
最後の急斜面、名付けてラクダのこぶ、全体を空から見た訳ではないので、本当にそういう形をしてるかどうかは分からないが、確かに2つのこぶ状の斜面を超えてる。
耳に聞こえる音は、くり返される自分の激しい呼吸音だけ、肺はもちろん体中の細胞が酸素不足を訴え、鼻の呼吸では当然追い付かず、口を大きく開け最大限の空気を体に取り込みながら、先を急ぐ。
 きっと、おそらく、僕の脳は極度な酸欠状態なのだと思う。
この時、いつもそうなのだが、僕の視界の両脇に、確かになにかが、一緒に付いてくる...それらが何なのかは、分からない。
でも、自分の体全体が、「立ち止まるな!」と言い聞かせているように、足は前へ前へ送り出される、もし、立ち止まれば、「僕はこの山の土になってしまう。」なぜそう思うのかは、その時はまるで、疑問など持たない。 足元が平たんになり、心拍数も落ち着いてきた頃、今のぼって来た斜面を振り返ると、見なれてはいるけど、やたら気持ちの良い明るい朝の、僕のきのこ道がある。
又、あいつらに会えるかな....それとも酸欠の見せる幻影なのかな。

 

 何時の頃からか、一人できのこを探しに山に入る様になった。
雨降りの山に入る...なにか結界のなかにでもいるような気がする時がある、実は本当に結界が張られているのかも知れない。
雨降りでも基本的にはカッパは着ない、よほどの土砂降りにならなければ、山の木々の枝や、葉が雨粒の直撃を防いでくれる。
そうした、自然の木々達の複雑で、巧妙なとよが頭上をめぐらせている。
雨の少ない年も、とよの出口を見つけておくと、そこにはきのこ達の集会場があったりする。
 しかし、カッパを着込むほど雨脚が激しくなってくると、頭上高く聞こえる、雨粒たちの砕ける音が山全体と共に、僕をも包みこむ。
それ程深く入り込んでいる訳でもないのに、もうちょっと先まで様子を見に行きたいのに、何故か僕の心拍数は極端に上がっていく。雨の音だけではない何かが、自律神経をさかなでているようだ。
カッパのフードをはずし、辺りをみわたす。時間の割には、やたら暗く、自分意外の生き物の気配がまるで感じられない。
「先へ進むな、今は、お前達の時ではない。」と誰かが忠告しているかのようだ。そう言う時は素直に山を出る事にしてる。
車まで戻り、里に戻ると先ほどまでの心拍数はどこえやら、人々の生活する僕達の世界があり、やけに明るく感じる雨降りだが、さっきまでいた山の方を見ると、濃い灰色の雨雲がずっしりと乗っていて山は見えない。

 

変な物写ってるといけないので、写真は撮りませんでした。

 

 そこが好きで、どうしても好きで、何かの理由でそれが出来なくなった時、でもその思いがとても強くて.....そこが世界の全てだと思ってた僕は、遠くその方の風を毎日探し続けた、だから去って行く空の雲より、向かう風だけが言葉なのです。 (夢の旅路より..)

 

 渓流釣り(フライフィッシング)が、きのこの次ぎに好きで、それで長野に住み着いてるようなものなんだけど、......
 2月の解禁日をかわきりに、春も夏も週末は、たいがい山深い渓流にいる。
この数年気にはなってたんだけど、去年かなり納得出来ない状況になった。
ある年、いつもの様に沢を上流に向かって釣り上がって行くと、おや?すぐ足元に大きな動物の白骨が沈んでいる、かなり長い時間流れに晒されたのだろう、真っ白である。
僕にはそれが、鹿のしゃれこうべか何かは分からないのだが、人間の物では無いことは確かである。
すぐ脇にそれの物と思われる、背骨と何本かのどこかの骨、かなり大形の動物だったようだ。
その後3年、その骨はいつも、多少位置を変えるだけでいつもそこにあった。
そこは、片側が大きく切り立った岩肌がせりだしている、もう一方は、なだらかな山肌で、林道までは少し遠い、沢の流れは、ちょうど緩やかで、水深も浅い。
「こんな所だから、いつまでもここにあったんだなー」とその時は思った。
 ところが去年、前の年の渓相が大きく変わってしまうほどの台風に見舞われ、沢沿いの大きな木は根元からひっくり返り、その根が大きな壁となり、行くてを塞ぐ。山のドングリや、赤松の巨木達もかなりなぎ倒されていて、沢まで滑り落ちてきている物もかなりあった。
 その日も昼だと言うのに日の差し込まない、沢筋に差し掛かる「あーしんど、歩きにくくなったなこの沢」と一つ岩を乗り越えると、「ありゃ? こいつ、まだここにいるんだ」 沢の状況からかなりの水が大量に流、れ多くを流したはずなのに....
 不思議に、恐さとか、そういったなんか変な気持ちにはならなかったが...今はとても変だと思う。
今年は、その場所まで行ってはいない、まだいるのかな? ん?あるのかな?

 

 

夏のきのこ

「よくこのくそ暑いのにきのこ探しに山にいくねー」と、きのこ仲間にも言われる。確かに長野県と言っても、上田盆地の夏は異常に暑い、暑いというより刺すような日ざしが毎日つづく。休みの日まず僕の場合家にいることは無いが、部屋の寒暖計は最高42度ぐらいを記録している。そんな暑い部屋はほっておいて、山じゃ渓流じゃ.!夏は渓流釣りも面白く、きのこに行くかかなり迷うところではあります。渓流の場合、里の暑さとは裏腹に、帰るころには温かいコーヒーが欲しくなるほどなのですが、きのこは違う。ちなみに、きのこの発生量自体は夏のほうが、秋に比べかなり多く、写真を撮って歩く僕にとってはとても楽しいはずなのですが..... 夏の山は、緑が多く茂っており、視界が悪く、精神的にかなりのストレスを受ける、さらにそれらの緑が蒸散する湿度も追い討ちをかけ一歩踏み出す勇気が、精神力に+5ぐらいするアイテムが無いと自分の心拍数を押さえることがでず、自然の中で自分の小ささを思い知る季節でもあります。

 

コンタクトレンズ

 この時期の山の湿度は、前後の降雨量にもよるが....特に低い位置にあるきのこの写真を撮ろうとする僕には、かなりうっとうしい。下草の間からのぞく、きのこにレンズを上から向けたもんなら、数秒でレンズは曇り始めるし、自分の熱気で眼鏡は曇りカメラを通しては何も見えない.....この年になって思わずコンタクトレンズを着用するようになったのは、眼鏡をはずさないとファインダーを覗けないのが一番の理由ですが、どうせなら、こんどカラーコンタクトにしようかな?

 

6×6

 きのこのホームページだからきのこの写真が多いいのは、それなりだと思うのだが、ホームページの為に写真を撮り始めたのではなく、そもそも子供の頃より写真が好きなわけで、これは見るのも撮るのも両方である。

 小学校に入学した頃、親父の2眼レフで撮り初めたのが全てのはじまり...もちろん白黒フィルムなのだが、サイズは6×6....どうせ子供が撮るつまんねー写真の為に親父は6枚撮りのフィルルムしか買ってくれなかった、それも遠足とか、なにか行事のある時だけ、カメラのカンウンターは12枚まで出てくるのに....それでも写真が撮れるのが嬉しかった、一つの機械を自分の意思だけで操る面白さをきっとこの時初めて感じたんだろう、それがどういう事か、当時の僕が分かるはずもなく、今になって勝手に自分で説明を付けている訳で.....しかし、6枚撮りである...それから数年まだ僕は小学生、この頃35ミリフィルムで、ハーフサイズカメラが出現する、36枚撮を入れれば72枚も撮れる!、でも僕の(親父のカメラ)は6×6..最高でも12枚、これは今でも変わってないが、解像度がどうのとかどんな理由があろうと、僕は沢山枚数の撮れるカメラ、というか、そういうカメラを持ってる友達がうらやましかった、でもそういう友達がパシャパシャ撮っているのを尻目に、1枚入魂!でかい二眼レフ首から下げて...結局自分でフィルムを買うようになるまでは、ずーっと6枚撮りだった..それでも子供の僕は、一枚一枚めちゃめちゃ真剣にシャッターを押してのだけは、いまだに覚えている。

 中学に入ってなお写真熱は上がっていく、もちろん35ミリの一眼レフカメラが欲しくなる、OM−1とかSR101が出てきた頃です。もちろん、中学生の僕に買える訳もなく、親が買ってくれる訳もない。それでも写真を撮りたくて、知恵をしぼりカメラ好きな先生にかけあって自分で写真部作り先生のお下がりだったかなんだか忘れたが、写真部のカメラ一台と白黒写真の現像引き延ばしの設備を獲得、もちろん全て私物化してたような....。写真はでかくなければ駄目だ!という、顧問になってくれた先生のおかげで、印画紙はキャビネと4つ切り、使い放題だった。でも、おかげで存分に写真が撮れる!!という訳にはいかなかった、何故かフィルムだけは自分で買わなければならなかったので、1枚入魂の時代は社会人となって自分で稼げるようになるまでつづく...それから今まで紆余曲折の末今に至るのだが...数十年の時流れは、テクノロジーも格段に変化進歩させる、特にこの数年で飛躍的にその進歩とともにに普及率が加速したデジタルカメラ...一枚入魂の時代から...撮って撮って撮りまくりのデジタル画像、親父に買ってもらった6枚撮りフィルムを大事に撮っていた同じ僕が、今や一度山に入れば、200枚以上のデジタル画像(メモリーカード目一杯)、万単位で消費するリバーサルフィルム....それが、悪い事とか、ポリシーの低下とか、そんなもんではないと思ってはいるが、デジタルカメラの出現で、少し写真を大事にしなくなったような気がする自分を、あれこれ理由をつけ、納得させてる自分がいる。 だた、現実の僕の生活はサラリーマンであり、その中で写真というのは、精神的には大きな糧であり、山に通いきのこを追うのは今やライフスタイルとなっているが、ストレスと戦いながら稼いだサラリーを、だたひたすら消費するだけの事であるのも現実である。

 あらゆる現象や結果、その瞬間を全て銀塩写真で撮り続けて...1枚入魂...雑念として現像代が脳裏をかすめる....その中にあってデジタルカメラは、初期投資の後は、撮った後の事を恐れる事無く、メモリーの容量の許す限り撮って撮って、納得いくまで撮る...10数年前長野に流れて来て、人生色々で...、全くお金の無い時期...税別980円の長靴1足と会社でもらった作業帽と作業服で初めた体力だけで、お金のかからないチープで美味しい週末の道楽だったはずのきのこ採り...今は何を求めてきのこ採り撮り....大きな自分の中の課題である。と、書けば大げさだが、体がじっとしてられんという事は、要するに....まずは、めちゃめちゃ楽しいツー事だけは間違いないな〜.....深い所にあるのか無いのか分からない物は、意外に道路っぱたに落ちてるのかもしれないし〜......。

 

 

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