昔はかご一杯採れたもんだがな〜..と話には聞くきのこは、今だ数多くあり、この先そういったきのこを自力で初発見の喜びは多く残っている...と書くと聞こえは良いが、何故そんなに発生し、採れたはずのきのこに今出会えないのか..。

 直ぐに思い立ちそうな環境悪化..は、少し脇において置き、環境の変化というもの..山そのものが生き物である限り、やはり人と同じく成長し老いてゆき..また再生を繰り返す...ただ、我々人間の生とはかけ離れた時間の概念でしか語れない、大きな流れであり...小さく話せば、そのとてつもなく続いてきて、これからも続く流れの一瞬に等しい時を共存しているだけ、だから一度だけ訪れる、最初の一瞬..出会いは感動的でないはずがない..と一応思っているのだが...現実は意外にあっさりしてる場合が多い...ような..............

 クロカワという名より、ウシベテイとい名のほうが先に知ったきのこ..このきのこも、そういったきのこの一つで、きのこ自体は、地元ではないが、山採りきのこ直売所などで見て知ってはいたが..10数年同じ山に通って一度も出会った事はなかった。
 忘れもしない2001年の秋のある日、知人の大学教授と学生をきのこ採りの山案内...この知人の教授...そっちにはあまり行かないで〜とか、こっち斜面おりますよ〜.とか、人の話を聞いて行動するような人物ではなく、自分の思いどうりに、思ったように...知人でなければ、案内人とするとほんとにやっかいな....(でも人生の恩師なので、めった事はめったには..言えない..めったに...)

 じゃ〜こっちの方に向かって移動しますね〜..と、もちろん教授様は、あさってに方向をうろうろ...「でっかいきのこ見つけた〜!」とおたけび...真っ黒なきのここっちにかざしているではないか...10数年通って一度もみつけられなかった...クロカワであった...初の..

 頭の中のしもじデーターベースでは、確かにクロカワが発生しそうな条件の場所であり、それなりに、もちろんこの年も何度も(前日も)お訪れていた場所であったわけで...人の顔ぐらいになっていると言う事は、前日もあったわけで....クロカワ無いのではなく、見つけられなかっただけ...僕の目がただ単に節穴だった..のか...いずれにしても、刺激をくれた知人の教授には感謝である。

 不思議なもので、その翌年は、どうしたんだ〜というくらいクロカワが発生して、シーズン中自分でもびっくりするくらいの収穫となった...教授がおたけびが刺激になったのかわ疑問だか、なにかそういったサイクルにうまく乗っかったような...

 きのこ採り..夢中になる世界ではあるが、実際に山をあるけば、その人口の少なさはあきらかであり、年々山で出会う達人的な師に出会う事も減ってきている..一杯採れたんだがな〜と人の話ではなく語れる者が..採れる者達が減ったのも、最近はきのこ減ったな〜と語る前に、こういった会話の要因の小さな一つだと思う

 採れたと語る師達もまた人であり、山の流れとは違っても、確実の老いてゆく..もちろん僕だって同じである。

 だからこそ、今出会った同胞の人たちとのつながりを大切にし、動けるかぎり山へ向かい、足を前に出し続けて行きたいと思うこの頃...

 昔は沢山採れたんだがな〜..ではなく、今ならあそこへ行け! GPS持たせ、この座標へ向へ...ってな事の言える’しもじ’が、将来の自分の絵なのだ...そうなる為にも、環境破壊などという理由でつまらんセリフをいう未来が来ないように...出来る事の基本..モラルかな〜

 最近どうも、語りがじ〜臭くなってきたの〜......ま〜確かに気持ちはともかく..どう転がっても...若者..ではないのは間違いないし〜

 

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